伊藤塾の刑訴論証を見直す(後編)
こんにちは。
今般、質問箱に次のような質問が来ていました。
「伊藤塾の刑訴論証で直したところはありますか?」
「(伊藤塾の論証について)以下を直してくれると嬉しいです。●強制処分の意義→採点実感で怒られた。●比例原則→誤った説明をしている。●所持品検査→論証がおかしい。●重複逮捕勾留の書き方がおかしい●公訴事実の同一性の論証」
今回の記事は、次回に引き続き、これらに対する返答・検証をしてみます。
1.重複逮捕勾留
ここは伊藤塾の書き方がおかしいというより、論点の整理が必要な部分ではないでしょうか。私は当初から抱き合わせ勾留等・一罪一逮捕一勾留・再逮捕再勾留がごっちゃになっていました。
そこで、論証の検討に入る前に、各論点の位置づけを整理してみます。あくまで受験生としての視点から再構成したものですのでご了承下さい。
(1)抱き合わせ勾留等と、逮捕前置主義/一罪一逮捕一勾留/再逮捕再勾留の違い
抱き合わせ勾留等は、問題となっている逮捕勾留に先行する逮捕の存在を前提としません。これに対して、逮捕前置主義/一罪一逮捕一勾留/再逮捕再勾留は、先行逮捕の存在があってはじめて問題になります。
以下に各論点の関係を図示してみました。赤の部分が問題になる部分です。
〔図1:各論点の関係〕
【勾留切り替え】
逮捕(被疑事実A)―――――→勾留(被疑事実B)
【抱き合わせ勾留】
逮捕(被疑事実A)―――――→勾留(被疑事実A+B)
上2つは、あくまで「逮捕から勾留」の部分を問題にするのであり、これ以外に先行する逮捕等があるか否かは関係ない。
【逮捕前置主義】
逮捕(被疑事実A,違法)――――→勾留(被疑事実A)
【一罪一逮捕一勾留】
逮捕(被疑事実A)―――――――――→勾留(被疑事実A)
逮捕(被疑事実A')――――→勾留(被疑事実A')
※ただし被疑事実AとA’は実体上一罪の関係
【再逮捕再勾留】
逮捕(被疑事実A)――――→釈放――――→逮捕(被疑事実A)・勾留(被疑事実A)
下3つは、被疑事実Aでの逮捕があってはじめて問題になる。
この図1を前提に、(2)へ進みましょう。
(2)一罪一逮捕一勾留と、再逮捕再勾留の違い
図1の【一罪一逮捕一勾留】【再逮捕再勾留】を見てください。一罪一逮捕一勾留は、「逮捕(被疑事実A)→勾留(被疑事実A)があるのに、被疑事実Aと実体上一罪の関係にある被疑事実A'での逮捕勾留がなされていること」が問題です。これに対し、再逮捕再勾留は、「一度釈放されたにもかかわらず、同一の被疑事実で逮捕勾留されていること」が問題です。
逮捕勾留という一連の身体拘束を「→」で表すと、イメージは以下のようになります。
〔図2〕
【一罪一逮捕一勾留】*1
・――――→
・――――→
【再逮捕再勾留】
・――――→ ・――――→
(3)各論証の検討
問題意識をある程度イメージしたところで、各論証を検討してみましょう。
ア 逮捕前置主義
ご存じの通り、逮捕前置主義とは、勾留請求に先立つ適法な逮捕を要求する建前のことを言います。「前3条の規定により」(207Ⅰ)が明文の根拠として挙げられるでしょう。
問題は逮捕前置主義の趣旨についてです。かつての伊藤塾の論証では、「身体拘束について二重の司法審査を経させる点にある」としていました。
しかし、これで導かれるのは「逮捕と勾留の各段階で司法審査する必要があること」です。「逮捕を勾留に先行させる必要があること」までは導けません。
身体拘束期間について、逮捕は3日間、勾留は原則10日間ですから、勾留の方が長期の身体拘束を伴うことになります。したがって、法は身体拘束期間が短い逮捕を先行させて、不必要な身体拘束をさせないようにしようとしているのです。これが逮捕前置主義の趣旨です。また、法が逮捕について不服申立ての手段を設けていないのは、勾留請求の段階で逮捕の適否を判断すべきことのあらわれでもあります*2。
以上を前提に論証化してみると、このようになります。
「前3条の規定により」(207Ⅰ)の文言から、法は勾留について逮捕が先行していることを前提としている(逮捕前置主義)。
逮捕前置主義の趣旨は、身体拘束期間の短い逮捕を身体拘束期間の長い勾留に先行させ、その各段階で司法審査を行うことにより、不必要な身体拘束を防止する点にある。また、逮捕について不服申立て手段がないのは、勾留段階で逮捕の適否を判断すべきことのあらわれである。
したがって、手続遵守の保障と将来の違法捜査の抑止のために、違法な逮捕に続く勾留は許されないと解すべきである*3。
ただし、逮捕の違法が軽微な場合にまで勾留請求を認めないとすると、捜査の必要性を害する。
そこで、逮捕に重大な違法がある場合に限り、それに続く勾留請求が認められなくなると考える。
イ 一罪一逮捕一勾留の原則
伊藤塾のかつての論証は、「法が厳格な期間制限(203条以下)を設けた趣旨に照らし、同一の被疑事実に基づく逮捕勾留は原則として1回に限られる(一罪一逮捕一勾留の原則)。」というシンプルなものでした*4。
被疑事実Aと被疑事実A’が実体上一罪の関係にあるのに、これを切り分けてそれぞれで逮捕勾留することは、203条以下で定められた期間制限を潜脱することになり許されない、ということですね。
ところが、最初に書いた伊藤塾の論証を再度見ますと、下線部を引いた問題意識の前提がいまいちあらわれていないように思われます。つまり、「同一の被疑事実」の定義がされていないのです。
そこで、私は上の論証に続けて、「なお、ここにいう『同一の被疑事実』とは、科刑上一罪を含む実体上一罪の関係にある被疑事実をいう。」という定義を付け足していました。
上記論証の展開後、問題になっている被疑事実どうしが「同一の被疑事実」といえるかを検討します。同一の被疑事実といえないのであれば、図1や図2で赤く図示した矢印の重複はないので、一罪一逮捕一勾留の原則には抵触しません。
同一の被疑事実といえる場合には、それは法定期間制限を潜脱した逮捕勾留と評価され、一罪一逮捕一勾留の原則に抵触しますから、原則として逮捕勾留は違法になります。
さて、ここで改めて考えて欲しいのは、①203条以下で定めた期間制限の「潜脱」にあたると評価される理由②論証に「原則として」という留保がついている理由です。
被疑事実AとA'とが「同一の被疑事実である」といえる場合、通常生の事実は密接に関連しており、証拠も共通しているはずです。そうだとすれば、捜査機関は被疑事実Aに基づく逮捕勾留の期間内に、A'についても捜査を進めて同時に処理できるのが通常です(つまり、捜査機関に対し「AとA'同時に捜査できたでしょ」といえる)。にもかかわらず切り分けて逮捕勾留をして、身体拘束できる期間を伸ばすのは、捜査機関の怠惰だろうという話になります。これが「潜脱」にあたると評価される理由になります。
もっとも、実体上一罪というのはあくまで法的な評価なので、常習一罪のように被疑事実A'がAに後行して生じたにもかかわらず実体上一罪とされる場合、捜査機関がAと同時にA'を捜査することは論理的に不可能です。ここに、一罪一逮捕一勾留の原則を徹底する不都合が現れます。そこで、この場合には例外的に一罪一逮捕一勾留の原則には抵触しないことになります。「原則として」の留保は、かかる例外の存在を前提として書かれている言葉です*5。
ウ 再逮捕・再勾留
ある被疑事実で適法に逮捕勾留をして一度釈放されたにもかかわらず、再度同一の被疑事実で逮捕・勾留するのが再逮捕・再勾留です。まずは、コアとなる論証を掲載します。
「 被疑事実●●に基づく逮捕・勾留は許されるか。
●●は、逮捕・勾留された被疑事実Aと実体上一罪の関係にあるから、Aと同一の被疑事実といえる。
同一の被疑事実に基づく再逮捕・再勾留は、法が定めた期間制限の趣旨を没却することから、原則として許されない。
しかし、刑訴法及び刑訴規則には、再逮捕を予定した規定が存在する(法199Ⅲ、規則142Ⅰ⑧)。したがって、再逮捕が全く許されないわけではない。また、再勾留を否定した明文の規定がないことから、再勾留も許される場合があると解すべきである。」
(ア)先行逮捕が適法
伊藤塾の論証は、再逮捕・再勾留が許容される要件として、①新証拠の発見など、事情変更による再逮捕・再勾留の合理的な必要性があり②逮捕・勾留の不当な蒸し返しとはいえないこと を挙げています。
しかし、再逮捕・再勾留であっても、実体的要件として逮捕勾留の理由と逮捕勾留の必要性が認められなければならないことには変わりありません。新証拠の発見など事情変更があることは、再逮捕・再勾留において自明に要求されることです。期間制限の規定に照らし、再逮捕・再勾留において要求される逮捕勾留の理由・必要性は、通常のそれよりも加重されたものとして考えるべきでしょう。具体的には、①は「(犯罪の軽重及び嫌疑の程度その他諸般の事情から、)一度釈放された被疑者が再度逮捕勾留されることにより被る不利益を考慮してもなおやむを得ないといえる高度の必要性が認められること」と修正できます。
②はそのまま記載してかまいません。なお、①との関係で「①の必要性と不利益とを比較衡量した結果相当であること」を意味しているようにも思えますが、①にいう実体的要件としての逮捕勾留の必要性にほかならないものですから、違います。正しくは、「捜査経過や先行する逮捕勾留による身体拘束期間の長短に照らし、法が期間制限を定めた趣旨に照らしてもなお再逮捕・再勾留が許容されるべき事情がある」ことを意味します*6。
(イ)先行逮捕が違法
伊藤塾は(ア)の論証を使わず、「適正手続の保障に照らし先行逮捕に違法があれば再逮捕・再勾留は原則として許されず、違法が軽微である場合に限り許されうる」とします(勿論、逮捕・勾留の実体的要件をみたしていることは必要です)。
これは正しいので、そのまま論証として展開しても問題ありません。
(イ)の場合、被疑者が釈放されたのは「逮捕が違法だった」のが理由ですから、適法に行われた逮捕勾留の「繰り返し」の場面ではありません。したがって、問題点を「先行逮捕に違法があり釈放された被疑者を、以後同一の被疑事実に基づき逮捕勾留することは一切許されないのか」とパラフレーズすることができます。
そして、先行逮捕に違法があったからといって、その違法性の程度を問わず同一の被疑事実に基づく逮捕勾留が一切許されないとすると、捜査の実効性を害します(違法な逮捕に引き続く勾留が一定の場合に許容されることとの均衡も欠くことになります)。
そこで、違法逮捕に引き続く勾留の適法性判断と平仄を併せるべく、先行逮捕の違法が重大であれば同一の被疑事実に基づく逮捕勾留は許されず、違法が軽微であれば許されると解することになります。
2.公訴事実の同一性
(1)「公訴事実の同一性」の意義―基本的事実関係同一説
伊藤塾は、「公訴事実の同一性」について、判例と同様の基本的事実関係同一説に立ちます。論証は以下の通りです。
「公訴事実の同一性」(312Ⅰ)が訴因変更の限界を画する趣旨は、被告人に対する訴追関心の拡張を禁止することにある。そして、新旧訴因が同一の刑罰権の範囲内にいえるといえれば、訴追関心の拡張にはあたらない。
そこで、「公訴事実の同一性」とは、①新旧訴因に基本的事実の同一性が認められ、または②新旧訴因に罪数評価上の単一性が認められることをいうと考える。
他説もいくつかありますが、判例を整合的に説明できないか、公訴事実の同一性を害する訴因変更が出来ない理由の説明が困難であるため、試験対策上は採らない方がよいでしょう。
(2)公訴事実の同一性の判断基準
上記の見解を前提に、新旧訴因間で①②が認められるかを検討していくことになりますが、問題は①の検討方法です。
①は、より具体的には狭義の同一性があるかの問題です。狭義の同一性は、a.基本的事実の共通性とb.非両立性で判断されます。伊藤塾は、まずaを検討し、これだけでは基本的事実が同一であるか明らかでない場合に補充的にbを考慮する判断フローを採用しています。
数ある判例の判断を整合的に解釈したものであるため、この判断フローをお勧めしたいところです(理論的な理由付けは特に必要ないところであると思います)。
aは、社会的事実としての犯罪事実、すなわち法益侵害結果・被害者・被害物に着目して判断します*7。そのうえで、事実が重ならない部分が出てきた場合には、bを考慮します。
たとえば、旧訴因が「Aは、令和4年5月12日午後11時30分頃、東京都国立市中1丁目路上において、殺意をもって、Vを包丁で一回刺突し、よってVを死亡させたものである。」、新訴因が「Aは、令和4年5月13日午後10時45分頃、東京都国立市北1丁目路上において、殺意をもって、Vを包丁で一回刺突し、よってVを死亡させたものである。」であった場合を検討してみます。
法益侵害結果が人の死亡であること、被害者がVであることで新旧訴因は共通しています。したがって、基本的事実の同一性は認められます。しかし、犯行日時及び場所が異なるので、非両立性について検討してみます。同一人の死亡結果は1回しか起こり得ないので、両者は事実として両立しません。よって、事実の非両立性も認められます。以上より、新旧訴因には公訴事実の同一性が認められます。
公訴事実の同一性については、あまり伊藤塾の論証をいじる必要はないかなというのが率直な感想です。もし古いテキストで異なる見解を採っていた場合は、上記の判断フローに修正してみてください。
以 上
*1:このように逮捕勾留が並行しているイメージが分かりやすいですが、被疑事実Aの逮捕勾留期間満了日に、身体釈放を介さず実体上一罪の関係にある被疑事実A'で逮捕勾留する場合もこれに該当します。
*2:勾留については準抗告の対象となっていますが、逮捕に関連する準抗告は認められていません
*3:「手続遵守の保障」とは、違法な逮捕に続く勾留を認めず釈放することにより裁判所が手続違背を明らかにすることをいいます。「将来の違法捜査の抑止」とは、違法逮捕に続く勾留を認めないことで将来同様の違法な捜査が行われることを防止することをいいます。
*4:203条以下の期間制限の趣旨について敷衍します。身体拘束が重い負担を伴うことに照らして、捜査機関に対して所定の期間内で公訴提起等への準備を行わせるようにしているのです。
*5:「原則として」と書いておきながら例外に言及しないのは不自然ですし、かといって例外の場面でもないのに上記の説明まで書くのは分量過多になります。答案構成の段階で不都合を指摘すべき場面かを検討し、指摘が必要ない場合は「原則として」の留保を外して書くのがベターです。
*6:勾留の方が身体拘束期間が長いため、再逮捕に比べて再勾留の許容性は厳格に判断すべきでしょう
*7:自主ゼミにおいて「取り敢えずこの3つに絞って共通性を検討すると判例と結論が一致するだろう」という形で理解していただけなので、理論的な正確性は保証できません。「社会的なエピソードとしてみて、新旧訴因を一つの犯罪と評価することができるか」という視点で見ればOKです。